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アンタカラナムの意味とは?|ヨーガ・アーユルヴェーダ・インド哲学

アンタカラナム(内的器官)

このサイトでは、ヨーガ、アーユルヴェーダのもとでもあるインド哲学の説明をしています。このページでは、その中で重要な概念であるアンタカラナムの説明をしています。インド哲学に関しての詳細は下記をご覧ください。

インド・ヨーガ哲学



アンタカラナム

アンタカラナムとは、内的器官、内側の道具とも訳されます。一般的に「心」といわれる部分です。聴覚、視覚などの感覚器官や、歩く、触るなどの行動器官とは別に、私たちには感情や思考を司る内的器官があります。感覚器官を使って何かを見たとしても、そこに内的器官の働きがないと知覚できません。例えば、外を歩いている時、ほかのことを考えていて何かにぶつかることがあります。それは感覚器官を使って「見て」いたとしても、内的器官がその障害物を知覚していないためです。このように各感覚器官と内的器官は密接に関連しています。

心の4つの側面

一般的に内的器官は「心」といわれます。ここではその心を4つの側面に分けています。

  1. マナス|マインド(思考・心)・・・好き嫌い、確かでないときの揺れ動く考え、心、感情
  2. ブッディ|知性・・・確かな時の道具、決断、結論など。マインドより主体的なもの。
  3. チッタム|記憶・・・経験を思い出す道具
  4. アハンカーラム|自我・・・私の〇〇のように考えること

マインド

揺れ動いている状態の考えがマインドを構成します。例えば、「映画を見に行こうか、やめようか?明日にしようかな?チケットは買っておこうかな?」このような揺らぎは、決断されるまで続きます。
感情もまたマインドを構成します。マインドに支配された人は、素早い決断ができません。そしてしょっ中感情や気分、好き嫌いに左右されます。月の満ち欠けは、マインドのようにいつも変化しています。そしてマインドにも影響を及ぼすとインド哲学でも考えられています。インド占星術ではマインドを見る時月との関係を見ていきます。

知性

決意の状態の考えがマインドを構成します。マインドのように揺らぎはなく、主体的です。倫理、観察、結論などは知性の働きです。知性に支配されている人を、合理主義者といいます。彼らは論理的にきっぱりと考えます。ドライになりすぎて優しさが無くならないようにしなければなりません。知性を司る神は全知の神、ブランマ神です。全ての知識や創造的なアイディアは知性からやってきます。

エゴ(自我)

私が行い手である、という思考がエゴ(自我)です。エゴとプライドは違います。プライドは個性や行い手の概念であるエゴではありません。プライドは持っている人もいれば、持っていない人もいますが、自分が行い手であるというエゴは全ての人が持っています。(悟った人はこの感覚から超越していますので除きます。)マインド、知性、記憶は変化します。知性は変化しにくいものの、変化しないわけではありません。しかしエゴは常にどんな思考にも変わらず存在します。例えば、「私は疑う、私は思う、私が決める、私は思い出す・・・」とか、「私のもの、私の怒り、私のアイディア・・・」などです。常に存在するエゴは、本当の自分自身と3つの体5つのレイヤー3つの経験の状態を思考でつなぎます。例えば、「私は太っている、私は食べた、私はよく寝た」というようにです。ルドラ神がエゴを司ります。ルドラは破壊を象徴します。私たちはエゴに苦しめられるかもしれませんが、エゴの消滅により、苦しみが終わります。

3つの体について 体の5つのレイヤーについて 3つの経験について

記憶

記憶の機能は回想と投影です。全ての経験は印象としてストックされ、コンピューターのデータバンクのようにまた呼び起こすことができます。私たちはこの情報だけをもとに考えます。ヴァースデーヴァ(ヴィシュヌ神)が記憶を司る神で、崇高な質であるサットヴァの質を用いたといわれています。穏やかな時だけ、サットヴァの質がクリアに記憶を投影させてくれ、簡単に思い出すことができます。

3つのグナ




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『VEDANTA BOOK OF DEFINITIONS』 Swami Tejomayananda