Timeless Edition

Birth Moon Phases

夜空を見あげて、今日の月に名前で呼びかけたことはありますか。三日月、十五夜、十六夜(いざよい)。日本語には、月の満ち欠けのひと晩ひと晩に寄り添う名前が、驚くほどたくさん残されています。この記事では旧暦のひと月を、昔の人と同じ速さでたどります。ひと晩ずつ空を見あげながら歩き、千年のあいだ絶えることなく続いてきた月への祈りを、あなた自身の体験として感じてみてください。

Contents

  1. 日本には、なぜこんなに月の名前があるの?
  2. 満ち欠けとともにめぐる、日本の月の名前
  3. 月を「待つ」ことから生まれた名前
  4. 季節のなかで愛でられてきた月
  5. 日本の月の名前が伝えているもの
  6. FAQ
木の影と満月で日本の月のイメージを表現

日本には、なぜこんなに月の名前があるの?

いちばんの理由は、暦にあります。明治のはじめまで日本で使われていた旧暦(太陰太陽暦)は、月の満ち欠けそのものを日付の物差しにした暦でした。新月の日が毎月の一日(ついたち)。「ついたち」は「月立ち」、月が新しく立ちあがる日という意味です。そして十五日の夜にはほぼまるい月がのぼる。日付と月の形がぴったり重なっていたので、月の名前は、そのまま日付の名前でもあったのです。

もうひとつの理由は、月が夜の明かりだったことです。電灯のない時代、月あかりは夜道を照らし、農作業や漁の目安になり、人々は月の出をたよりに夜を過ごしました。生活の必要と、月を愛でる心。ふたつが重なって、ひと晩ごとの月に名前をつける文化が育ちました。万葉集の時代から、月は歌に詠まれつづけています。

そして月は、眺める相手である前に、祈る相手でもありました。古事記や日本書紀に登場する月の神は、ツクヨミノミコト(月読命)。その名は「月を読む」、つまり月を数えて暦を知ることと結びつくと考えられています。月齢をかぞえ、日付を知り、種まきや祭りの日を定める。月を読むことは、暮らしの技であると同時に、神さまの領分にふれる営みでした。ひと晩ごとの名前の細やかさの底には、この感覚が流れています。

満ち欠けとともにめぐる、日本の月の名前

ここからは、旧暦のひと月を、ひと晩ずつ巡っていきます。日付はすべて旧暦の目安です。空を思い浮かべながら、昔の人が手を合わせた晩には、心のなかでいっしょに手を合わせてみてください。

新月・朔(さく)

新月の空

今夜は、空のどこを探しても月が見つかりません。星だけがよく見える、いちばん暗い夜です。月は太陽と同じ方向にいて、昼の空を太陽と連れ立って渡っています。この日が旧暦の一日(ついたち)。「ついたち」は「月立ち」、月が新しく立ちあがる日です。「朔」の字には「はじまりに戻る」という意味があります。いまも神社に残る「お朔日(ついたち)参り」は、もとはこの新月の日のお参りでした。過ぎたひと月の無事を感謝し、新しいひと月を祈る。見えない月に手を合わせるところから、ひと月の旅がはじまります。

二日月(ふつかづき)

二日月と空

日が沈んだばかりの西の空を、目を凝らして見てみます。茜色の残る低い空に、糸のように細い光。見つけたと思う間もなく、太陽を追って沈んでしまいます。この見つけにくさゆえに、出会えたら幸運といわれた月です。若々しい姿から若月(わかつき)、その月に最初に見える月として初月(はつづき)とも呼ばれました。

三日月(みかづき)

三日月と空

夕暮れの帰り道、ふと西の空を見あげると、細く反った月が浮かんでいます。昨夜よりすこし高く、すこし長く空にいてくれるので、誰の目にもとまる。日本の月の名前のなかで、いちばん親しまれてきたのがこの三日月です。その反りを美しい眉にたとえて、眉月(まゆづき)という異名もあります。そしてこの月は、拝まれる月でもありました。ひと月のうちで最初に「会える」月を「三日月様」と呼び、手を合わせる風習が各地に残っています。新しい月との再会を祝う、小さな祈りの晩です。

上弦の月(じょうげんのつき)

上弦の月と空

日没のころ、頭の真上ちかくに、ちょうど半分の月がかかっています。宵のあいだずっと空にいて、真夜中に西へ沈んでいく、つきあいのよい月です。弓に弦を張った姿に見立てて弦月(げんげつ)、弓張月(ゆみはりづき)。そして、まるい月がふたつに割れた片方と見て、片割月(かたわれづき)。この片割月には七夕との美しい重なりがあるので、のちほど章をあらためてご紹介します。

十日夜の月(とおかんやのつき)

十日夜の月と空

宵の空の高いところに、半分からすこしふくらんだ月が明るくかかっています。月あかりで手もとが見えるほどになり、夜なべ仕事や夜の行き来がしやすくなる時期です。旧暦十日のこの月は「十日夜」。同じ名前が旧暦十月十日の収穫の行事も指しますが、そちらは季節の月の章でご紹介します。

十三夜月(じゅうさんやづき)

十三夜月と空

東の空から、あとすこしで満ちるという月がのぼってきます。まるくなりきる手前の、ほんのわずかな欠け。昔の人は、この姿を「もっとも美しい月」と愛でました。完全なものより、満ちてゆく途中にこそ趣を見る。旧暦十三日の月の名前には、日本らしい美意識がそのまま残っています。

小望月(こもちづき)

小望月と空

明日はいよいよ満月、という宵です。ほとんどまるい月を見あげながら、明晩の月見の支度を思う。その待ち焦がれる心が、前の晩の月にまで名前をつけさせました。望月(もちづき)の前夜だから小望月、満月の宵を待つから待宵月(まつよいづき)です。

十五夜・望月(もちづき)

十五夜の月と空

日が沈むのと入れ替わりに、東の地平から大きな月が顔を出します。ひと晩じゅう空にあって、朝日と入れ替わりに西へ沈む。月あかりだけで本が読めるといわれた、ひと月の光の頂点です。「望」は満月をあらわす字。秋の十五夜が「中秋の名月」として特別に愛でられてきたことは、季節の月の章で。

十六夜(いざよい)

十六夜の月と空

昨夜と同じ時刻に東の空を見ても、月はまだのぼってきません。すこし待たされて、ためらうように顔を出す。この「ためらう」を古語で「いざよう」といい、そのまま月の名前になりました。遅れてくる月を責めるのではなく、奥ゆかしい人柄のように眺める。ここから、月の名前は「待つ」物語に入っていきます。

立待月(たちまちづき)

立待月と空

夕餉を終えて、戸口に立って東の空を見つめます。まだか、まだか。それでも立って待つうちには、ちゃんとのぼってくる。旧暦十七日の月は、その待ち方がそのまま名前になった立待月です。

居待月(いまちづき)

居待月と空

今夜は立って待つには長すぎるので、座敷に腰をおろします。お茶を淹れて、語らいながら待つ。「居る」は座るという意味で、座って待つ月だから居待月。待ち時間さえ楽しみに変えてしまう名前です。

寝待月(ねまちづき)

寝待月と空

とうとう、横になって待つ晩になりました。床に入ってうとうとしはじめたころ、ようやく東の空が明るみます。寝て待つから寝待月、臥して待つから臥待月(ふしまちづき)。どちらの名前も残っています。

更待月(ふけまちづき)

更待月と空

家々の灯が消えて、夜がすっかり更けたころ。いまの時刻でいえば午後十時ごろに、ようやく月がのぼります。夜更けを待つから更待月。ここまで遅くなってもなお名前をつけて待ちつづけたところに、この文化の深さがあります。

下弦の月(かげんのつき)

下弦の月と空

目が覚めた明け方、白みはじめた空に半分の月が残っています。この月がのぼったのは真夜中。宵の月だった上弦と対をなす、朝の側の半月です。弦月、弓張月の異名はこちらにも使われます。旧暦二十三日の月は、月待信仰の「二十三夜」の月でもあります。こちらは次の章で。

二十六夜月(にじゅうろくやづき)

二十六夜月と空

夜明け前のいちばん暗い時刻、東の低い空に、細い逆向きの三日月がのぼってきます。この月の出をひと目見ようと、夜通し起きて待つ「二十六夜待ち」という風習が江戸の町で大流行しました。その賑わいも、次の章でご紹介します。

有明月(ありあけづき)

有明月と空

朝、空がすっかり明るくなっても、白い月がまだ空に残っています。「有明」は夜が明けてもなお月が有る、という意味。十六夜からあとの月はみなそうなるので広い意味でも使われますが、とくに明け方の細い月の名前として親しまれてきました。残月(ざんげつ)、暁月(ぎょうげつ)という異名もあります。ひと月の旅の終わりに、朝の光のなかへ溶けていく月です。

晦日月(みそかづき)

晦日月と空

そして月末。月はもう細すぎて、探しても姿を見せてくれません。「晦日」は「つごもり」とも読み、これは「月隠り(つきごもり)」が転じた言葉です。見えない月に、ひと月ぶんのありがとうをそっと伝える晩です。月が隠れて、翌日の朔へ。祈りの旅は、また手を合わせるところへ還ります。

満ち欠けの一夜ごとの意味をもっと深く知りたい方は、月の満ち欠けと過ごし方の記事もご覧ください。

月を「待つ」ことから生まれた名前

あらためて並べてみると、十六夜から更待月までの名前は、すべて「待ち方」の名前です。ためらう月を眺め、立って待ち、座って待ち、横になって待ち、夜更けまで待つ。月の出は毎晩およそ五十分ずつ遅くなるので、満月をすぎると、月はどんどん「待たせる」ようになります。その待ち時間の長さを、人々は嘆くのではなく、名前にして味わいました。

この「待つ」文化は、信仰にもなりました。月待(つきまち)といって、特定の月齢の夜に人々が集まり、飲食をともにしながら月の出を待って祈る風習です。集う晩は土地によってさまざまで、三日月の晩から十三夜、十七夜、二十六夜まで、それぞれの月齢に講がありました。なかでも旧暦二十三日の夜に集う「二十三夜講」は全国に広まり、いまも各地に「二十三夜」と刻まれた供養塔が残っています。江戸時代には二十六夜待ちが大流行し、明け方にのぼる月の光のなかに阿弥陀三尊の姿があらわれると信じられて、高輪や品川の海辺は夜通しの月見客でにぎわったと伝えられます。

月待の夜、人々はただ月を眺めるために集まったのではありません。東の空が明るみ、月がのぼったその瞬間に、みなで手を合わせて拝む。そのために待つのです。待っているあいだの語らいも、飲食も、月を迎えるための時間でした。月の出を待つことが、そのまま祈りのかたちだった。「待つ」名前の連なりの背後には、この静かな信仰が広がっています。

季節のなかで愛でられてきた月

ここまでの名前が「毎月めぐってくる名前」だとすると、一年に一度だけの、季節と結びついた月もあります。

中秋の名月

旧暦八月十五日の月です。空気が澄み、月の高さもほどよい秋のこの夜が、一年でもっとも月を愛でるのにふさわしいとされてきました。里芋の収穫期と重なることから芋名月(いもめいげつ)とも呼ばれ、すすきと月見団子を供える風習はいまも続いています。この供え物は飾りではなく、実りへの感謝の祈りです。すすきはまだ穂の出そろわない時期の稲穂の代わりとされ、供えたすすきを軒先に吊るして魔除けにする土地もありました。お月見は、月に収穫を感謝する、ささやかな祭りだったのです。

十三夜

旧暦九月十三日の月です。中秋の名月の約ひと月後にめぐってくるので「後(のち)の月」とも呼ばれ、栗名月・豆名月の名もあります。中秋の名月だけを見て十三夜を見ないことは「片見月(かたみづき)」といって縁起がよくないとされました。ふたつでひとそろいのお月見です。

十日夜

旧暦十月十日、おもに東日本に伝わる収穫の行事です。田の神さまが山へ帰る日とされ、稲刈りを終えた田んぼで子どもたちが藁鉄砲で地面を打ってまわりました。中秋の名月、十三夜、十日夜の三つの夜が晴れると縁起がよいともいわれます。
毎月の満ち欠けにつく名前と、一年に一度の行事につく名前。同じ「十三夜」という言葉が、毎月の十三日の月と、旧暦九月十三日の特別な月見の両方を指すのは、このためです。

片割月と七夕——半月が渡す夜

片割月(かたわれづき)は、半月の異名のひとつです。まんまるの月がふたつに割れて、その片方だけが空にある。名前の由来は、この形の見立てにあります。上弦にも下弦にも使われる、形から生まれた名前です。

いっぽうで、暦をたどると、この月には決まった居場所がひとつあります。七夕の夜です。七夕は旧暦七月七日。新月の日を一日として数えるので、七日の夜の月はかならず月齢六前後、上弦へ向かう半月になります。つまり織姫と彦星が年に一度出会う夜、空にかかるのは、いつの年も片割月なのです。

月を舟に見立てるまなざしは、万葉集の時代からありました。

天の海に雲の波立ち月の舟星の林に漕ぎ隠る見ゆ(万葉集・巻七)

天を海に、雲を波に、月を舟に、星々を林に見立てた歌です。夜空を渡る月は、古代の人の目に、天の海をゆく舟として映っていました。

片割れどうしの織姫と彦星が天の川をはさんで再会する夜、その空を、半分のかたちをした月の舟が渡っていく。片割月という名前は形から生まれたものですが、七夕の夜にだけは、この名前がまるで物語の一部だったかのように響きます。今年の七夕は、空の半月を、ふたりを乗せて川を渡る舟として眺めてみてください。

日本の月の名前が伝えているもの

ひと月のあいだ、月は一日として同じ姿をしていません。日本の月の名前は、その一夜ごとの違いを見分けて、ひとつひとつに呼び名を与えてきた文化の記録です。満ちる月をよろこび、欠けてゆく月を惜しむのではなく、待つ楽しみに変え、見えない月にまで「隠れる」という名前を贈る。そこにあるのは、変わりつづけるものを、変わりつづけるままに愛するまなざしです。

名前をつけて呼ぶことは、相手をただの物としてではなく、「あなた」として遇することです。月を神と仰ぎ、月の出に手を合わせ、実りを供えて感謝する。日本の月の名前の細やかさは、山にも川にも木にも神性を見てきた、この国の自然へのまなざしとひとつづきのものです。十七の名前は、月という自然を敬いつづけた千年分の挨拶だ、といってもいいかもしれません。

そしてこのまなざしは、月だけに向けられたものではないはずです。日々かたちを変える心にも、その夜ごとの名前があっていい。今夜の月の名前を知ることは、今夜の自分の心に呼びかけることと、どこかで繋がっています。

FAQ

Q1. 十六夜はなぜ「いざよい」と読むのですか?

A. 「いざよう」という古語がもとになっています。意味は、ためらう、進みなやむ。十六夜の月は満月より五十分ほど遅れてのぼるので、その遅れを「月がためらっている」と見立てて、いざよいの月と呼びました。「じゅうろくや」と読んでも間違いではありませんが、月の名前としては「いざよい」が伝統的な読みです。

Q2. 中秋の名月は満月ではないというのは本当ですか?

A. 本当です。ずれる年の方が多いくらいです。中秋の名月は「旧暦八月十五日の月」という暦の上の決まりで、天文学上の満月の瞬間は旧暦十四日から十七日のあいだで動くため、一日から二日ずれることがよくあります。ぴったり重なる年もあります。ほんのわずかに欠けた月を名月として愛でてきた、と知って眺めるのも素敵ですね。

Q3. 望月とは満月のことですか?

A. はい、望月(もちづき)は満月の古い呼び名です。「望」の一字だけでも満月をあらわします。使い分けるなら、十五夜は「旧暦十五日の夜」という夜の名前、望月はその夜にのぼる「月そのもの」の名前、という整理ができます。満月は天文学の用語で、どれも指しているのは同じ、まるく満ちた月です。

Further reflections

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旧暦の日付と実際の月の状態には、一日から二日ほどのずれが生じることがあります。天文学上の満月の瞬間は旧暦十四日から十七日のあいだで動き、中秋の名月が満月と一致しない年もあります。七夕(旧暦七月七日)の月齢はおよそ五から七のあいだで、上弦の瞬間の前後にあたります。月の出が毎晩遅れる時間は平均でおよそ五十分ですが、季節と月の位置により二十分から一時間以上まで変化します。

Words by Yuki

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