真実のベールがはがれる、悟りの状態とは?|ヨーガ・アーユルヴェーダ・インド哲学

タットヴァボーダ No.60-62

ヨーガやアーユルヴェーダの理論のもととなっているインド哲学「ヴェーダ」の起源は約5000年前にさかのぼります。宇宙の法則、私たちが生きている世界の本質が詰まっています。その一部をわかりやすく初心者用に説明しているものがタットヴァボーダ(Tattva Bodha)です。ヨーガ、アーユルヴェーダのもととなる基本的な考え方を理解するにあたって、とても重要です。このサイトでは、そのタットヴァボーダの内容をサンスクリット語の訳に沿いながら説明しています。グリーンで囲われている部分がサンスクリット語の日本語訳です。ここでは60章から62章にあたる、悟りとは何か?の部分を説明しています。タットヴァボーダの全体像について知りたい場合は下記をご覧ください。

 

目次(60章~62章)|悟りとは?

 






 

悟りとは?

これまでのタットヴァボーダの内容とのつながりを復習します。まず、タットヴァボーダのテーマがあり、それを学ぶために必要な資質を説明しました。そしてタットヴァボーダの一番のテーマである、アートマー(自分自身、真我)にはどんな特徴があるのかを15,16章説明しました。17章以降はその特徴を1つずつ説明しています。43章からは、宇宙の構造の話になります。仕組みはどのようになっていて、どのようにできたのかを説明していきました。60章からは悟りについての説明です。

No.60 |ジーヴァンムクタとは?

このように、ヴェーダンタの言葉とサッドグルの教えによって、全ての存在の中に真実の知識を見れる人のことを、生きながらに悟った人(ジーヴァンムクタ)といいます。

解説

ヴェーダンタの言葉は、私たちに真実のベールをはがしてくれます。真実は、自分自身そのものなので、「英語の知識」というように対象物として知られることはありません。自分自身は目撃者であって、対象物にはならないからです。そのため、とらえがたく、暗に含まれたような方法で明らかになっていきます。言葉もとらえにくいです。そのため、必ずグルから教えてもらわないといけません。独学で勉強すると、混乱や間違えが生じるからです。経験が豊富で、真実を確立しているサッドグルからの言葉を聞く必要があります。そして、真実は自分自身のなかにあり、すべての中にもある、全ては真実そのもので、私は限りのない真実である、ということに気が付いた人を、生きながら悟った人(ジーヴァンムクタ)、または賢者(ニーニャ)といいます。悟りは、目覚めや解脱などともいわれます。

 

No.61 |悟った人はどんな人か?

では、誰が生きながらに悟った人なのでしょう?「私は肉体である、私は男だ、私はブラーミンだ、私はシュードラだ」と私たちが信じるのと同じように、「私はブラーミンではない、私はシュードラではない、私は男ではない」そして「私は何の執着もない、存在・意識・至福の本質で、光り輝く、形のない意識である」と、直接的な知識によって確信している人のことをいいます。

解説

私たちは今、自分は人間だ、男(女)だ、〇〇という名前だ、といった知識を自然に努力なしに持っていて、死ぬまで持ち続けます。毎朝起きて、私は人間だ、と何度も言い聞かせる必要はありません。自分が人間であることを定期的に思い出すこともありません。こういった知識は、自分の奥底に根付いているので、意識的に思い出す必要がないのです。それと同じように、「私は肉体ではない、私は限りのない意識だ、私はアートマーだ」という、自分自身の知識が奥底に根付いている人のことを、生きながら悟った人といいます。彼らはもう自分自身を知るために瞑想をしたり、言い聞かせる必要がありません。私は人間だという知識のように、真実の知識をどんな時でも変わらず持っているからです。肉体が死を迎える時も、自分自身は不滅であることを知っています。外見は普通の人と変わりませんが、世界の見方が正反対です。無知の人は、自分自身を限られたものとし、世界が現実だと考えます。悟った人は、自分自身が永遠と知り、世界が現実でないことを知っています。

3つの知識

「直接的な知識」と出てきますが、それは何でしょうか?知識には下記の3種類あります。

①感覚的知識
感覚器官を通じて得る知識のことです。例えば、これは本だ、と見る感覚を通じて知識を得ています。

②間接的知識
誰かが見たり、何かを読んだりすることで、間接的に得る知識のことです。五感を使って得るには遠すぎて感覚的知識を得られないときなどです。タージマハルを見たことがなくても、写真を見たり、誰かに説明してもらって、タージマハルの知識を得ることができます。

③直接的知識
感覚からでも間接的でもなく、遠くも近くもない、「私」の知識のことです。「私」という主体の知識はいつもここにあります。五感やマインドを通じて得る必要がありません。私たちは自分がどんな人かを知っていますが、自分自身を知りません。自分自身の知識は、知的な概念ではなく、直接「私は限りのない真実だ」と経験することです。

 

No.62 |全てのカルマから自由に

私はブランマンであるという直接的な知識によって、人はすべてのカルマから自由になります。

解説

自分自身の直接的な知識を得ても、何か特別な神秘的な力を得たり、非現実的な経験や成功をするわけではありません。また、すごいことをしようとする必要もありません。知識を得ることは、何か新しいことを創造することではありません。ただ自分の無知を取り除いただけです。無知のままだと、自分が行い手だ、という間違った認識から行動するので、その結果である楽しむ人や苦しむ人にもなります。本来は自分は行い手ではないので、楽しむ人や苦しむ人にもなりません。つまり、すべての行動の縛りから解放されています。

また、最高の至福に達するために、成し遂げないといけないものはありません。人にはダルマがあるので、やらなければならない義務を行うかもしれませんが、それは完全な手放しのためです。私たちは限られた感覚の中で行動することを強いられています。悟った人は、完全に満たされ、全てへの愛の感覚の中で行動しています。行動の中から自由を探すのではなく、行動の中で自由を経験しています。

 

続きの章からは、カルマとは何かの説明をしていきます。

 

 

 

次はこれを要チェック

 

 

 

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『VEDANTA BOOK OF DEFINITIONS』 Swami Tejomayananda

 

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